地元だけが知っている話
「今も残っている、西郷の局の館跡」
西郷の局(於愛の方)の生家があったのは、掛川市上西郷の構江公民館の周辺一帯です。構江というのは、西郷の局の屋敷が「構え」ていたというのが由来です。屋敷は思った以上に広く、200m四方の田んぼや畑に東門、図書屋敷、若宮様といった地名が残っています。その中心を構江段と言い、少し段状になっていて地盤がとても固く、おいしい水が湧き出ます。土塁のような場所も残っています。
構江公民館の横には西郷の局の生家の家神様を祀っている小さな祠(斎様・いつき様)があります。以前は塚山になっていて、いろいろなものが埋まっていたので、よく宝探しをして遊びました。自分が小学4年生の頃、近所のひとつ上の幼友達が祠の横の土塁の竹藪の中から小さな刀を見つけました。
自分も刀が欲しくて、竹藪やその横の畑を勝手に掘って探したのですが、出てくるのは瓦や茶碗やお皿やお酒を入れる器みたいなものばかりで、「土の中には、何でこんなにたくさん、いらないものばかりが埋められているんだ」と思いながら、肝心の刀が出てこないのでがっかりした思い出があります。
先日、この幼友達に「ところで、あの刀はどうしたのか」と聞いたところ、家に帰って父親に見せたら、「刀には祟りがある」と脅かされて、他の誰にも言えないまま隠してしまったそうです。
当時はこれらに誰も価値を感じていませんでしたが、自分が掘り出したあの器や破片も貴重な品だったのかもしれません。
自分たちの遊び場であった公民館も祠も建て直してしまいました。土塁の竹藪や畑も整地されて宅地になってしまいました。しかし、道を隔てて位置している当社の裏庭はまだ手づかずです。「お宝が埋まっているかも」と想像しながら時々眺めています。
亡くなった母親が以前「今も残る戸塚家で、(上記の地図では「於国の家」と書かれています)、葵の紋章が柄に入った刀を見たことがある」と言っていました。「どうする家康」の放映が、そんなものを見つけ出す気運のきっかけになってくれることを願っています。
幼友達が50年前に保管していた西郷の局の館に伝わっていた刀です。
戸塚家には、その頃でもたくさんの刀やたくさんの大きな壺や巻物が伝わっていましたが、時代の中でいつの間にか流出してしまいました。金粉の葵の紋が入った盃もあったそうですが、いつの間にかなくなってしまいました。昭和の終わりごろの周辺の宅地造成の際にも大量の刀が出土しましたが、そのまま処分されてしまいました。平成の公民館の前の道路整備の際にも器が出てきましたが、そのまま工事が行われました。令和になってからでも、茶畑の中から竈(かまど)の後が出てきましたが、土を盛られて住宅が建てられてしまいました。
幼友達が所持していなかったら、この刀を見ることもなかったと思います。
( 西郷・構江・中組 大角昌巳 )
「西郷の局パレード」
2015年10月31日(土) 、掛川市制10周年記念で西郷の局パレードが行われました。
西郷の局役はSBS静岡放送の重永智子アナウンサー、徳川秀忠役は西郷の局の生家があった構江地区に住む空(そら)くんです。
当時の松井三郎市長の、西郷の局を掛川市の歴史文化資源として売り出したいという思いがこのパレードにつながりました。
その思いは今も伝わっています。
写真提供 掛川市
ダンス時代劇「西郷の局~家康を魅了した、お愛さま」
2022年から、舞台芸術で若者の活躍の場を創出する、新進気鋭のダンス集団「ARTS C3 company」 (代表 山本真理子さん)によるダンス時代劇「西郷の局~家康を魅了した、お愛さま」が公演されています。
秀吉や信長など馴染み深い英傑たちも登場し、洗練されたダンスとファッションで熱演!
歴史をグッと身近に感じさせてくれる舞台です。
公演の予定は「ダンス時代劇 西郷の局」で検索してください。